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熊谷真尚 manao kumagai

日常情報革命

 

入門したばかりの初心者が、最初に聞くように勧められる禅道会創始者、小沢代表の講義がある。

運動力学や大脳生理学を、誰でもわかりやすい形にして起承転結でまとめた内容だったそうだ

入門したての頃、熊谷もその講義を聞いた。

根性論が苦手でサボり気味の熊谷にとっては、理論的で受け入れやすい内容だったのだろう。

 

「当時はインターネットもない時代ですから、身近でそんな話をする人を知りませんでした。少なからず感銘を受けたので、それから先生の話を少しでも聞くために、試合後の飲み会、2次会3次会にもついて行きました。飲み屋ですからとても騒がしくてね、その雑音の中で耳を澄ませて何とか言葉を聞き取ろうとする事が、私にとっての非日常でした」

 

熊谷は話の中で、よく「非日常」という言葉を使うが、一般的に解釈されるように、単に日常から離れる事を指すのではないらしい。

精神的に散らかった状態(カオス)を、段階的な負荷(ストレス)によって整理していった先でなければ非日常にはならないと、熊谷は定義している。

それがとても重要な事であり、かつては道場や飲み会で体験していたと言う。

続けてこう話す。

 

「でも、今は道場や飲み会での非日常体験は難しいでしょうね」

 

時代の転換点となったのは2000年、インターネット時代の幕開けと共に、情報革命が始まった。

必要な情報をいつでも調べられるようになり、便利な世の中になったと感じるが、非日常と情報革命は逆相関だと言うのだ。

 

熊谷の例え話を紐解くと、音楽を聴く目的を、ただの情報収集ととらえるならばMP3の音域だけで事足りる。

しかしなぜハイレゾが作られたかといえば、人間の耳には聞こえない音域まで再生したほうが、不思議と良い音に感じる、情緒も変わる事が分かったからだ。

ましてレコードは湿度で音まで変わってしまう。

管理も大変、雑音も入るけれど、人間はそこに風情や情緒を感じるという。

そして、何よりもコンサートは、チケット取る、新幹線抑える、といった煩雑なストレスがあり、汗だくになりながら雑踏をかき分けた先、パッと開けた景色、さあ始まるというステージ、その負荷と解放体験にこそ非日常があると言うのだ。

 

「みんな、どちらが良いかなんて事は分かっていますよね。でも、日常では簡単で便利な方法を選びます。だから音楽はMP3で聞いている人が一番多い。ライブに行く人よりYouTubeで見る人のほうが多い。世界中の凄い人、それこそスティーブジョブズの伝説のスピーチすらみんなが見聞きできる時代ですから、わざわざ飲み会に通い聞き取りにくい雑音の中で耳を澄ませるなんて、今の時代にはやりません」

 

あえて非効率な事はしなくなる、というのは事実であろう。

そして、2007年、iPhoneが登場したことで、スマホの時代になっていった。

指導者が練習風景をSNSにアップする。

YouTubeで技を研究する。

それこそ効率的で門下生の成長を助けるため、決して悪い事では無い。

 

「私たちがやってた時代、それより前の人たちにとっては、道場へ稽古に行く前から結構なストレスだったんですよ(笑)駐車場の車を見て、痛い先輩が多いと引き返したりね。そうやって心の葛藤、煩悩があって、でも覚悟を決めて道場に入ったら、もう引き返せない。あるのは『押忍』のみ。だからこそ私の定義する非日常空間なのですが、今ならそんな道場に誰も来ません(笑)」

 

スパーリングにおいても入門したばかりの白帯に対して、すぐにK.O.してしまうような昔ながらの道場には、もはや人は集まらないだろう。

それどころか、クチコミなどでどうとでも広がってしまう。

自然と、できるだけ楽しく、日常の延長としてストレスの少ない稽古内容に傾いてしまう。

手厚いサービス業になっていってしまう。

熊谷の言うように、運営を成り立たせつつ、道場や飲み会での非日常体験が難しいという言葉は、一定の説得力を持っているように聞こえた。

 

「儒教的な上下関係も、強制的な非日常も、昔はこんな感じで、それはそれで良かったよね、楽しかったよね、という程度の話です。今は今の良さも楽しさもあるはずですから」

現代に合わせた武道の在り方、非日常体験をどのように構築していくのか、という事を常に考えるようになったという。

武道拡散型律組織構想

 

 

「私たちの頃は、情報がありませんから、先に生きる者、つまりは先生と呼ばれる人達から学ぶ以外の選択肢がありませんでした。今は多くの人が、色々な情報を持っています。どこでも調べる事ができます。だから、先生がなんでも教えられるわけじゃなくて、提供できる事は一情報にしか過ぎません。それを受け入れて一緒に学んでいく時代になりました」

 

情報化社会では、先生に価値があるのではなく、場所に価値を見出していくべきではないか、そんなことを考え始めたのは、2014年。

熊谷が禅道会で唯一の師範に昇段した頃の事である。

もっと多様な目標を持った人たちが集まれる場所を作れないだろうか、と思考し始めた。

論を言えば、武道は一つの価値、一つの情報でしかないと割り切って、他の価値観も受け入れ易い場を作り始めたのだ。

 

「空手の流派に長く居ると、そこの価値観、流派を興した先生の価値観てのが第一になってきてしまうように感じていて、無意識に正解不正解が出来てしまう事が窮屈になってきました。押忍の押し売りというか(笑)儒教的な良い部分もありますが、時代に合っていない部分も多いと感じ始めたのがその頃です」

そこで熊谷は、道場の中に柔術の先生を招いて新しい部門を立ち上げた。

今でこそ、総合格闘技のジムや道場では当たり前になっているが、当時の禅道会では他の技術を入れる事は無かったそうだ。

技術が混ざる事を嫌っているように見えた。
 

しかし、いざ始めてみると柔術は独特の雰囲気があった。

通っている人たちは和気あいあいと楽しそうに技を習得しようとしている。

黒帯が紫帯に「それってどうやってるの?」と気軽に質問しあう環境。

上下関係などはなく、強い弱い、正しい間違いより「その技をかけてみたい」という姿勢がとても良いと感じた。

さらに熊谷はトレーニングジムも立ち上げた

「ジムの会員さんの中から、空手や柔術に興味を持って、始めてくれる人もちょくちょくいます。逆に空手から、ジムに来た人はガチリフターガチビルダーを見てビックリする。そうやって相互的に影響し合える場所があると良いなって。ベクトルが同じような組織が上手くつながって、取り組む側の利益になる事が一番だと思うんです。どこかに所属してるだけで、別の気になったモノを気軽に体験できるような、繋がりがある組合せが良いと思って」

現在トレーニングジムは複数の店舗運営とFCを指揮しており、会員総数は禅道会の全国人数よりも多いという。

「私が空手を始めた頃は、ボディビルの筋肉は使えないとか意味がないとか、そうい風潮がありました。そもそも格闘技とは目的が違うので比べること自体が変なんです。無知な話で、そうやって他の価値観を否定して自分たちの価値観を守っていた、というね(笑)」

確かに、ボディビルには食の知識も解剖学の知識も必要である。

その知見は現在では多くのスポーツにも取り入れられている。

狭い視野を取り払い、多様な価値観が集まれる場所を作る、それが熊谷の考える道の場の在り方だという。

熊谷真尚 manao kumagai
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